先日、千葉の幕張で開催された食育セミナーに行ってきました。
そこでこんなもの見つけました。
明治22年の給食です。
日本が戦争に突入、マレー半島に侵攻、さらに真珠湾攻撃を
始めるころ、子どもたちも我慢、我慢の給食だったのでしょう。
たった一杯のすいとん(本当は水ばかりのすいとんだったでしょう。)に
「おなかがすいたよ~」の声が聞こえてきます。
子どもたちを飢えさせる戦争には絶対反対だと、改めて思います。
エっと驚き、これは私が生まれた昭和25年。
お決まりの脱脂粉乳は出ていますが、戦後にこんな豊かな給食?
田舎で作られた給食と都会の学校の給食とはかなり
違いがあるのでは。
田舎の公立小学校では、野菜やお豆腐の煮物ばかりだったような
気がします。
時は飛んで昭和60年、当然子どもたちの体格がよくなるはずです。
千葉県版地産地消、件名をもじって「千産千消」と言います。
海の幸の秋刀魚、畑の幸の野菜やピーナッツ、こんな場所で育った
子どもたちは幸せですよね。
これは、はなまる給食にも登場する千葉県匝瑳市の給食です。
この野栄給食センターは、全国給食コンテストで何度も優勝したところです。
これは、バイキング給食。まるでお誕生会のようです。
自分の体のことを考えて選ぶ、一緒に食べる人のことを考えて
量を考える・・核家族の中、塾通いでさらに個食の子どもたち。
みんなでこうやって分けあって食べることが食育なのでしょうね。
突然ですが、これは私の今日のお弁当。
仕事の合間に、のんびりと食べるお弁当、
今月の支払いのことも、営業不振もみんな忘れて
うれしい・うれしいお弁当です。