父の七回忌で田舎へ帰ることになりました。
あれからもう七年もたったのですねえ・・・
「父危篤」の知らせを受けながら、仕事で(くだらん上司のおかげで)
その日の最終新幹線に間に合わず、死に目に会えなかった私。
そんな、仕事のあり方が嫌になったのも、私が仕事を辞めた原因です。
大正生まれらしく、頑固な癖に新し物好き好きだったお父さん。
新しい事業に飛びつくたび、結局、家族がその後始末をさせられました。
何回、引越ししたでしょう・・・
でも、いつも思い出しては笑ってしまう楽しい事があるのです。
尾道育ち、しかも海軍出身が自慢のの父は、私が小学校に入っても
泳げないのが不満だったようです。
「海に行くぞ!」父は洗濯に使う大きな金だらいを持っていました。
海に着くと、私の腰に紐を結び、金ダライに私を乗せて
沖へ泳ぎだしたのです。
佐渡のたらい舟ではあるまいし、小さな金たらいは波を受けて
すぐにひっくり返ります。
当然、必死に泳ぐ私。沈みそうになる寸前、父が紐を引っ張るのです。
まるで鵜飼の鵜状態・・・
おかげですぐに泳げるようにはなりましたが・・・
それは、父の特訓のせいではなく、浜辺で見ているみんなに大笑い
されるのが恥ずかしかったからです。
父は、最後は脳出血で右半身が動きませんでした。
我侭がエスカレートし、みんなお手上げ状態で老人施設に入ったのですが、
ある日、若い看護婦さんが困ったように私に言いました。
「お父さん、介護で抱きかかえるたびに、私にキスをされるんです。」
年配の看護婦さんには決してしないらしく、ちゃんとかわいい若い子だけ
選んでいるのです。
アレレ・・・意識は、はっきりしているんだ。
その時は、困ったお父さんだと腹が立ったのですが、今頃つくづく
思うのです。
お父さん、最後まで、あっぱれ~!!