「ひえーっ!気持ち悪い」
なんて言わないで。
僕たち、おかいこさん。
憧れの高級シルクのもと。
お肌をスベスベにする化粧品のもと。
ただ今シャカシャカお食事中。
新鮮な桑の葉をたくさん食べて大きく大きくなっているところ。
先日行った、秩父の養蚕農家の取材のもようです。
このところの低温で、生育が遅れています。
(20度以下になったら、桑の葉を食べなくなるそうです。)
秩父には現在24軒の養蚕農家が残っています。
毎年、桑畑が減り、しかも農家の高齢化で養蚕農家は減っています。
江戸時代、この秩父には稲作が難しく、年貢を納めるための
手段として、米より高価な養蚕が発達したようです。
一時期は、この秩父の絹が埼玉の経済全体を動かすほど
絹織物は盛んで「秩父銘仙」として、全国にその名前が知られていました。
ただ、その豊かさも一部の問屋などが独占し、蚕を育て
糸をつむぎ、織物にするという、まさにものつくりの基本の部分は
貧しい人たちが担っていたようです。(今と変わっていないか・・・・)
写真は50年養蚕をしてきた秩父の寺尾の小池さんご夫婦です。
85歳のおじいちゃんも84歳のおばあちゃんも、いい笑顔でしょ!!
一番たくさん蚕を育てていた頃には.1tの出荷をしていたとか。
「今の出荷量は、ほんとにおもちゃみたいなもんだヨ~」
ただ、おばあちゃんの昔話を聞くと、思わず涙がこぼれそうになるほど
過酷な「農家の嫁」の労働でした。
朝起きて一番に桑の葉の刈り取り。しっかりと太い桑の木の刈り取りは
大変な作業だったようです。
この桑の葉を蚕たちに食べさせて、やっと自分の朝食。
最盛期には、人間の部屋も作業場として使われ
お蚕様の間で寝ていたようです。
お腹に子供がいるときは、狭くて急な階段を、桑の葉を担いで上がるのが
辛かったと、思い出話をしてくれるおばあちゃん。
朝早くから、夜遅くまで、蚕にあわせての作業。
大農家には、おばあちゃん、小姑、みんな揃って
嫁は単なる労働力、蚕さまの方がずっと大切にされていたようです。
お腹に子供がいるとき、たった5分でいいから、横になりたかったと
言う言葉に、なんだか私も切なくなって。
大きな、黒光りする柱の一本一本が、その歴史を見ていたのでしょう。
さて、7月から始まる「元気埼玉ちゃんねる」の撮影は順調に進んで
います。人手が足りないので、私がインタビュアーをやっております。
(顔は写さないという約束で・・・・)
撮影班、がんばって~!!!