このダムは寄居町にある玉淀ダム。
先日、ダム上流の長瀞に住む方から是非このダムを取材に来て欲しいと
連絡がありました。
1964年、東京オリンピックの年に埼玉県電気事業部と
農林省(現・農林水産省)が共同で総工費8億8000万円を
かけて建設、年間1780万5000kw/hの電力を供給し、深谷・
熊谷・寄居など3829haの農地の灌漑を行っています。
(埼玉県庁の資料より)
玉淀という名前が示すとおり、以前はこの周辺で荒川が深い流れを
つくり、昭和初期には長瀞から寄居まで船下りの観光船が行き来し、
川魚の漁業が盛んだったようです。
これはその頃の貴重な写真、横山工房さんにお借りしました。
秩父銘仙で栄えた頃らしく、芸者さんとの舟遊び。
このダムの建設に当たって、ダム周辺の住人には、
「このダムが出来ればすばらしい観光施設となり、多くの観光客が
見込まれる」という説明があったようです。
大きな産業を持たないこの周辺地区の人々は、この地が
観光収入で潤うことを夢見たようです。
ところが、ダムを挟んで上流、
下流は
魚道もない上流には川魚が遡上せず、生活ゴミも浮かんでいます。
対する下流では、鮎つりの人々が見えます。
このダムは落差が低いため当初から発電能力が低く、
その上、電気事業も自由化されたため、2005年、埼玉県は
電気事業から撤退を表明,現在は民間に譲渡されました。
一説には年間2億円の赤字を生むダムだとも言われています。
長瀞町では長年にわたって、町民の間で「ダム撤去運動」
が続けられています。
奥玉淀の自然の景観と生態系を取り戻そうという運動です。
有明湾でもゲートを開くか開かないかで、漁民の人たちと
農民の人たちが大きく対立していますが、埼玉にもこんな
運動があることを今回始めて知りました。
産業重視の時代から、人間と自然界の調和の時代へ。
「川は誰のものか・・・」とつくづく考えさせられた一日でした。
暑い日差しの中、写す人も写される人も汗びっしょりになっての撮影でした。この話題は8/1
オープンの元気埼玉チャンネルで、動画でお伝えします。