昨日は、ホテルの観光用パンフレット作りの仕事で、また群馬の
猿ヶ京温泉へ行ってきました。
早くも秋号の制作です。
今回は、ちょっと趣を変えて「与謝野晶子」の特集にしました。
与謝野晶子は猿ヶ京に、夫 鉄幹の死を挟んで前後2回ずつ
訪れて多くの歌を残しています。
猿ヶ京の老舗ホテルの女将の持谷靖子さんと言う方が
自費を投じて作った記念館があり、晶子に関する資料が
約2000点展示されています。
その名も素敵な「椿山房」
内部には自筆の原稿とともに写真も多く飾られています。
中にこんな珍しいもの発見!
子供の頃、こんな電話見たことがあるでしょ。
ハンドルをグルグル回して、交換手を呼び出す電話。
この電話に耳を当てると、なんと晶子の肉声が聞こえてきます。
皇居の歌始めの会の時に聞く、あの独特な節回しで自作の歌を歌っています。
かわいい、ふるえるような声です。
この声の持ち主が
「君死にたまふことなかれ」や
「柔肌のあつきちしおに・・」と歌ったとは思えないほどです。
晶子は11人の子供を産みながら、驚くほどの数の歌を世に出し、
めまぐるしく講演に飛び回っています。
定収入のない夫の代わりに、彼女が家計を支えるために
まさに「日々の生活」と闘っていたようです。
その強さが「婦人は男子にも国家にも寄りかかるべきではない」という
およそ明治生まれの女性とは思えない強さを生み出したのかもしれません。
写真の前に立って、強い眼差しを見ていると、「少々のことで弱音吐くんじゃ
ないわよ。そのぐらいでなによ!」と怒られてしまいそうな気がします。
この写真は館長の持谷靖子さん。
100年前のストリートオルガンを聞かせてくださいました。
この持谷さんは猿ヶ京の老舗旅館の女将、
旅館の仕事の合間に、「民話の館」「猿ヶ京関所資料館」を作り、
土地の民話も監修しています。
「晶子はね、20代、30代、40代とそのときどきに、人生の哀しみや嬉しさ
人生の生き方を教えてくれた先生なの。」
もうじき70歳になられるとは思えないほどパワフルで美しい方です。
最後にひとつ、お聞きしました。
「晶子のあの燃えるようなパワーは何から生まれたんでしょう。」
私は多分「彼女の純粋な心だ」という答えを期待していたのですが
持谷館長は笑いながらこういいました。
「彼女を突き動かしたのは、経済的エネルギーよ。
貧乏はエネルギーなのよ。」
そうか・・・。そのエネルギーだったら・・私だって負けはしないと
なんだかおかしな元気?と勇気をもらった今回の取材でした。
さて、もう夜中の二時前、明日(今日)は仕事で秩父行き、天気は良さそうです。