「一生かけて償っていきます」自殺した少年の元担任の言葉。
少年の命を何で償うというのか・・・
イジメから子供を守る教師が、イジメのきっかけをつくっていたとは。
今から45年前、小学5年生から6年生の間、私もイジメに
あっていた。
ランドセルはひっくり返され、毎日鉛筆は全部折られ、日記帳は
ナイフでずたずたに切られた。
給食に雑巾を載せられ、足を引っ掛けられて脳震盪で病院に
運ばれた。
理由は一つ、私が、転校生だったから・・・
それでも、親は我慢して学校へ行けという。
イジメの真実を親に話したら、ますますイジメはエスカレートする。
黙っている他は無かった。
大学を卒業したばかりの、女の先生もきっと恐かったのだろう。
ただ「あなたは我慢強いから、がんばって」というだけ。
それでも、いまだに許せなかった言葉。
少々ぽっちゃり気味の私は「白豚」と呼ばれた。
ある日、「お前のお母さんもそっくりの白豚だ」と言われて、思わず
泣き出した私に、その担任が言った言葉。
「バラの木にバラの花咲く、何の不思議はなけれど・・」???
その時、学校の先生は決してあてにならない存在だと悟った。
中学へ進む時、母は皆と一緒の地元の学校ではなく、
私に国立中学の受験を勧めた。
ようやく、2年間のイジメは終わった。
だから、子供が小学校へ入ったときも、この子がイジメにあった時は
守ってやれるのは自分しかいないと思った。
先生なんか絶対にあてにならないと・・・・
あれから何十年もたったというのに、イジメはなくなるどころか
ますます、エスカレートしていく。
先生も守ってくれない、親も分かってくれない、
「絶望」しか見えなかった。
「死ぬこと」だけが自分を守る方法だと、少年は考えたに違いない。
自殺した少年を、学校側はさらに「弱い性格」だったことをほのめかす。
少年たちよ、そんな学校なんて行かなくていいんだよ。
大人が分かってくれるまで、行かなくていいんだよ。
あれから数十年、私をいじめた7人の少年たち、もう既に、オッサンたち、
私はまだ君たちを許していない。そんな少年たちを許した故郷を
許していない。
あのときの恐怖と屈辱は一生忘れない・・・